ここ数年で大きくクローズアップされてきた領土問題

いずれも離島の帰属をを他国と係争しているのは同様ですが、

その本質はまったく比較できないほど異なり、三者三様です。

日本国民としても、“どれかで進展あればいいや”ではなく、

それぞれの経緯を知り、

違った観点から解決の糸口を探るのが今後大切かと思います。

 

固有の領土だ、返せ!でこのかた60年あまり経過しているのもあるのです。

解決方法にこだわり、当事者がいなくなってしまうのがはたして本望なのか。

長文ですが一考に値すればありがたいです。

今回はもっとも長引いている北方領土(北方4島)を取り上げてみます。

 

観点①そもそも誰のものなのか?

 

日本史上この4島はじめ、千島列島は近代に入るまで

ほとんど知られていませんでした。

というか、戦国時代までは北海道自体が「蝦夷地」と呼ばれて、

日本の一部とは思われていませんでした。

蝦夷とは東北に土着していた民族で、

奈良時代に坂上田村麻呂が征伐したあの人たちです。

源平合戦で源義経が逃げ延びた奥州藤原氏の拠点が岩手県ですから、

これより北は蝦夷地とみられて少なくとも

中央政権は領土と見なしていませんでした。

その後、江戸時代に入り、この地にいた「松前氏」が今の北海道、函館あたり

までを大名として統治することとなり、

北海道の蝦夷(そのころからアイヌと名乗った)

との貿易が行われるようになります。

日本側からはコメ、鉄製品、工芸品などが、アイヌからは海産物などが

交易され、松前藩はこれをもって取れないコメの代わりに藩の財源としました。

しかし辺境のことですから松前氏はともすれば不公平な取引を持ちかけ、

これに反発したアイヌの反乱ををしばしば招きました。

“当時アイヌは本土の人間を「和人」と区別し、日本への帰属意識は

            カケラもありませんでした”

やがて江戸時代後期にはロシアが極東に進出し、カムチャッカ半島や

サハリンに毛皮採集のための基地を作り始めます。

(当時毛皮製品はロシアにとってヨーロッパへの重要な輸出品だった)

彼らはまずアイヌと接触し、アイヌが日本側から取得した製品と毛皮の交換を

します。

やがてアイヌの漁場とロシア人の狩場はあいまいになっていき、

千島列島一帯が国境(そもそもそういう概念がないが)未確定な状態に

なりました。

やがてロシアの毛皮商人はもっと狩場を増やしたいと、政府の後援を

嘆願し始めます。

ロシア皇帝も乗り気となり、極東へ探検隊兼外交使節の船団を送り始めます。

そうなると松前藩の交易地域でもロシア船の目撃が相次ぎます。

さらに年来松前氏と緊張関係にあったアイヌがロシアとの関係を深めて

対抗する可能性が出てきました。

ここにきて幕府はロシア船の出現を外交問題として松前氏に任せず、

蝦夷地一帯の直接経営に乗り出しました。

(その裏で豊かな海産物を独占して財源を増やす狙いもあった)

ロシアとの交渉ではどこまでが日本領とするかが焦点となるため、

幕府も探検隊を派遣し、北海道全域、樺太(サハリン)、千島列島の

大まかな地理を初めて把握することとなりました。

この間日本人を連れ去ったり、ロシア人が上陸し、略奪を働く事件も

ありましたが、どうにか「日露和親条約」を締結し、

 

千島列島は択捉島より西側を日本領、

樺太(サハリン)は日露混在で国境未確定

 無題.png 

となりました。(といっても双方軍事的に防衛、維持する力はなかった)

(図は外務省の北方領土関連ページから引用させていただきました)

 

しかし幕府の対外意識はペリー来航もあり、北方においても高まって、

松前藩との二重統治に様な状態は幕末まで続きます。

函館は対外貿易港として開放され、北海道開拓の中心地となり、

沿岸からの攻撃に備え要塞が築かれます。(五稜郭)

しかし皮肉にもロシア相手ではなく、戊辰戦争で旧幕府軍が最後の拠点と

して抵抗する地となりました。

 

観点②明治期の領土交渉と

      戦争による領有権の移り変わり

 

明治政府が成立し対外交渉の部署も整備されたころ、ロシアは極東進出を

加速させます。 ナポレオン戦争、トルコとの戦争、クリミア戦争と、

19世紀前半いっぱいを西側の問題に足絡めだったのですが、それらが

ひと段落して極東に人員、資金を回す余裕ができたのです。

途端に国境のあやふやな樺太(サハリン)はロシア人が押し寄せて、

不穏な情勢となりました。

明治政府はあくまで樺太における日本人の権益を守るか、

完全に放棄するか選択を迫られます。

この時は樺太を北緯48°で日露分割する案も出たのですが、これを主張する

グループが西郷隆盛寄りであったため、西南戦争の余波に巻き込まれて

政府を去り、もう一つの案、千島列島の択捉島より先の島々樺太を

交換することで方向が決まり、「樺太・千島交換条約」として成立しました。

(といっても現実には日本政府に樺太の権益を維持する国力はない

とみてよかった)

人の住める樺太に執着するとより近い北海道の開拓が遅れ、総合的に

北の備えが不十分になるため、あえてほとんど開拓の余地のない千島列島

を選択したというのがまだまだ弱かった日本の事情でした。

  無題2.png

思いのほか長引きそうなのでひとまずここまでとさせていただきます。

さかのぼれば実に150年近い領土問題ということになります。

その間、領土というものは決して一定しておらず、国力を背景にした政治的、

軍事的な力によって左右されるということをなんとなく感じていただければ

今現在の問題に柔軟な考えで臨めるのではないか、と思います。

厳しい意見も結構ですので、アドバイスいただければありがたいです。 

 

 

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