近代以前の日本には「避諱」という考えが存在しました。なぜか教科書ではほとんど触れることがないのです。こういう基本的な知識がないと日本史の理解はおぼつかないのではないかと思っています。

ところで諱は「忌み名」という字に置き換えればわかりやすいのですが、その人の存命中に、他の誰かが諱を無断使用することは、その人の諱を犯したこととなり、タブーとされていたのです。

儒教の影響をうけた東アジア文化圏では珍しいことではありません。本場の中国では時代が下るにつれて徹底的になり、皇帝の諱に使用されている漢字は例え一字たりといえども使えませんでした。

日本では避諱の考え方は、そこまで徹底的だったとは言えません。偏諱、すなわち貴人が諱の字のひとつを家臣に与えることが行われました。かの足利尊氏も後醍醐天皇の諱の「尊治」から偏諱を与えられています。

こういうことは中国ではありません。日記などで、貴人の諱を書き記すことも日本では珍しくなかったのです。

だからと言って、他人の諱を犯すことに無頓着であったわけではありません。

合戦中の敵以外は他者の諱を使用できたのは、主君や親に限定されました。また常識として、たとえ主君でも、親しき仲に礼儀ありで、相手の諱を呼ぶことは、はばかられたものです。

相手の諱をおおやけに無断使用できるのは、その人物と敵対中の武将ぐらいなものでした。

天皇の諱の無断使用などは、厳に慎まれていました。